干しぶどうと水で過ごす日々から一転、大手広告代理店のプロデューサーへ

zasetsu1 挫折日記とは、人生で挫折をしたけれどそこから這い上がって今を楽しく過ごしている人たちに フォーカスする日記です。
今挫折している人たち!ここで諦めることなかれ!!
人生はここからです。
さて、挫折日記第1回目は斎藤京太郎さん(仮名)です。
成り上がろうと意気込んで大阪から上京してきたものの、待っていたのは干しぶどうと水で日々を過ごすという極貧生活。
しかし現在は一転して大手広告代理店のプロデューサー。
そこには一体どんなストーリーが?
筆者の勝手なイメージだが、広告マンというと大概チャラチャラしている。
それにこんな一風変わった取材を快く受けてくれるなんて、きっとこの人も変わった人に違いない!!
と思いきや、現れたのはとっても腰が低い謙虚そうな青年。
まさかと思ったが、まさにこの方が干しぶどう生活から大手広告代理店プロデューサーへ転身した斎藤さんなのであった。

■暗黒の子ども時代

zasetsu_book大阪で過ごした18歳まで暗黒時代でした。
友達もいないし、学校にも行きたくない。
当時、「完全自殺マニュアル」が流行っていたじゃないですか。 それを毎日読んでいました(笑)
何の希望もなく、気だるい。すぐ腐っちゃうみたいな。
何て言うか、さなぎみたいな感じでしたね。
小学校時代は幸せだったんですけれど、13歳から高校を出るまでが本当にやばくて。 このままだと引きこもりになる、このままではいけない、それは自分自身でもすごく感じていました。
そこで東京デビューを果たそうと思ったんです。
人生を一からやり直すために。

■受験失敗

東京へ行こうと思ったものの、きちんとした動機がないともちろん行かせてもらえない。
そこで早稲田大学を受けるということで上京させてもらったんです。
東大なんて自分の学力じゃ無理だとわかっていたけど、もしかしたら早稲田なら…と。 大義という意味での知名度は申し分なし、東大に比べたら合格しやすいだろうと1本に絞ったんですが、結果的にはこれが失敗の元でした。
1回目の受験は失敗。
そこで東京の予備校に通いながら新聞奨学生として住み込みで新聞配達をしながら、翌年再受 験をしようと決めました。
新聞配達の仕事は朝3時に起こされて新聞を配り始め、朝6時に新聞を配り終えます。
その後住んでるところのおばちゃんが朝食を作ってくれて同僚と一緒に食事を済ませる。
で、身支度して予備校に行くわけですよ。
予備校に着いたら勉強すべきなんだけど、僕の場合は疲れて寝ちゃう。 昼ぐらいまで講義があって、それが終わればマックでだべるわけですよ。若者らしく。 そして午後3時になると夕刊の時間だからって急いで帰って配り始め、それが終われば夕飯。
翌日の仕事のためにおとなしく寝ればいいのに、夕飯後は先輩に連れられて夜の街に出ちゃうん ですよね、これが。
そこから夜中の12時まで遊び、3時間寝たらまた朝刊です、と。
そうした日々は楽しいんだけど、やっぱり勉強の時間がなくなるという(笑)
ほかにも、インセンティブでおこづかいがもらえるので、お金欲しさに勧誘業務も引き受けたり。
そうするとますます勉強の時間がなくなる。
そうして再び受験を失敗しました。

■早稲田を諦め、仕事生活へ

zasetsu_3 2回も受験を失敗し、僕に勉強は向いていない、仕事の方が楽しいし向いていると思いました。
だから受験をするのはやめにして、仕事をしていこうかなという考えが頭をよぎるわけです。
そうなると新聞奨学生で住み込みをしていた家は追い出される。
ただ一方、当時新聞配達は底辺の仕事のように思う自分もいて…。
「何で東京に来たんだ、落ちぶれに来た訳じゃない」そう思ったら、別の仕事をしようと決意。
「ここから抜けだそう。」

■アルバイト生活の始まり

新聞配達をやめてホテルで結婚式などの配膳スタッフのバイトを始めました。
ホテルの配膳スタッフのバイトってすごく時給が良いんですよ。
時給1,800円くらいだったと思います。 でも、ホテルのバイトも言い方は悪いですけど底辺の仕事のように思えて。
というのも、時間の融通が利くから集まってくるのは劇団員か、この仕事しか出来ない人が多い。
人柄的にはいい人達だし面白い人が多かったけれど、その環境につかりきってしまうとダメになる気がして。
生きるためだけにここにいる訳じゃないっていう思いが強くなっていったんです。
かといって今大阪に帰ったら都落ちって思われる。
自分は成り上がらなきゃいけない。
それで、インターネットサービスプロバイダーのサポートデスクの仕事に就きました。
ブルーワーカーのままじゃだめだ、オフィスワークの経験を積みたい、と。
でも、なかなか思い通りにはいかないもので1 ヵ月くらいで辞めちゃったんですよね(笑)

■人生を狂わせた英会話教材のセールス。干しぶどうと水の生活へ…

zasetsu_house 次に英会話教材の販売セールスの仕事に応募しました。
今となってこれは僕の人生を狂わされた反面、感謝している仕事でもあります(笑)
英会話教材のセールスって、書店などでキャンペーンを行い、通りすがりの人に手当たり次第に声をかけて商品を売るんです。
そもそもこの仕事をしてみようと思ったのは、なんと求人広告に月収100万円可能と書いてあったから(笑)
お金に目がくらんで、説明会に行ったんですよ。
そしたら説明担当のおばさんがすごくギラギラしていて。
「あなたいくら稼ぎたいの?」と聞かれたので、僕が「30万円稼げたらすごく嬉しいです」って言ったら、「たった30万円でいいの?」とか言われて。
「うちでは100万円くらい稼いでる人なんかごろごろいるわよ」と。
で、入っちゃった(笑)
目がドルマークになってしまって。
ここで頑張れば100万円稼げるんだと本気で信じていました。
入ってみて初めてわかったんですが、その会社の給与システムは完全歩合制でした。
完全歩合制って売ったら給料が入るけど、売らなかったら収入がゼロ。
その上さらに、経費も自分で払わなければいけないことが判明。
交通費も自腹、会社に電話代を毎月8,000円払わなければならない。
会社の言い分としては「お前らのテレアポのために電話を貸しているのだからその電話代を払え」 というわけです。
ダメ押しといわんばかりに、コピー機の横には10円を入れる機械があってコピーする度にお金が取られました…。
ただ当時僕は呑気にも「月100万稼ぐからこのくらいの経費しょうがないだろう」と甘く考えていたんです。
zasetsu_4 で、実際に働き始めたら全然売れない(笑)
英語を全く話せない人が英会話教材を売ったって売れないのは理にかなっている訳ですよ。
売れない日々を大体8 ヵ月くらい続けたかな。
当然のことながらその間生活は全く大丈夫じゃなかった。
家賃を払えず、親から生活費を仕送りしてもらう。 さすがに「怪しいことをやっているのではないか」と疑われましたね。
ただ、こちらとしては純粋な気持ちでめっちゃ一生懸命働いているわけですよ。
土日もなく、午前10時から夜10時まで。
それこそ自分の中には「成功」の2文字しかないから全然ブラックとも思わないわけです。
これは成功に向けての通過儀礼なんだと。
要するに、完全に騙されてました(笑)
最初のうちはまだよかったんですが、そのうち本当にご飯が食べれなくなるほど生活は苦しくりました。
100均で仕入れた干しぶどうと水道水が晩ご飯という日々が続きましたね。
こんな飽食の時代に(笑)
本気で涙がぼろぼろ出てきて、こんなに死ぬほど働いているのに何でこんなにひもじいんだろう、ってすごく悔しくなってきちゃって。
「生きるってこんなに大変なのか父ちゃん」みたいな。
とにかく、挫折というか病んでいるというか、完全にいっちゃってましたね。

■活動の愚かさ

そのとき僕は「活動の愚かさ」を感じました。
僕の愚かは直らないけれどセールスの愚かさっていうんですかね。
誰でも彼でも見込み客だーって言って見込みがあろうがなかろうがひたすら渡す。
英語なんかに全く関心がないおばちゃんだろうが、セールスをかけちゃうわけですよ。
そうした日々を過ごすうちに「計画性もなく、なんてアホなことをやっているんだろう」って思ったんですね。
もう少し言えば、物を売るというのは本来、欲しくもない人に物を押しつけて「こんなゴミよこすんじゃないわよ」と言われるようなことではなくて、欲しい人に喜んでもらえる物を届けることなんじゃないかと思いました。
だってその方がこっちも幸せだし付加価値も付くから。
そう考えると、その時はまさにその対極にいたわけで(笑)
売り場が書店の場合はまだマシな方で、「スキャット」っていうキャンペーンをたまにやることもありました。
駅を降りたところでいきなり「どう?どう?」ってセールスをやるんですよ。
いわゆるキャッチセールスと全く一緒で。ナンパみたいなものだったんです。
これは怪しまれる度合いが書店のキャンペーンの比ではなく、声をかけ続けるうちに「俺何やってるんだろう、そのうち風俗嬢のキャッチでさえもやるようになるんじゃないか」って。
こんな誰かを喜ばせることも、自分を納得させることもできない仕事をしてちゃじゃダメだと感じ、いつかマーケティングの勉強をしようと思ったんですね。
だから今マーケティングコミュニケーションの仕事に携わることができているのも、そこでの悔しい思いをバネに反対のことをやってきた結果なのかなと思います。
勉強代は高かったですけどね。
えらいひもじい暮らしをしたりとか、これなら大学の学費の方が安かったんじゃないかっていうオマケもついてきましたし(笑)

続く

干しぶどうと水で過ごす日々から一転、大手広告代理店のプロデューサーへ その②